「海峡の光」(辻仁成)

あくまでも「私」を読み込むべき作品

「海峡の光」(辻仁成)新潮文庫

看守の「私」のもとへ現れた
囚人・花井。
彼は小学校時代、
優等生の仮面の下で、残酷に
私を苦しめ続けた男だった。
苛められる側と苛める側だった
「私」と花井は、
監視する側とされる側となって
船舶訓練の実習船に乗り込む…。

かつて自分を苛めた男が囚人となって
看守である自分の前に現れる。
このシチュエーションから
引きつけられます。
立場(力関係)が180度
入れ替わっているのですから。
でも「私」が過去の復讐をするような
安易な展開にはなりません。

小学生の頃、
花井の「私」に対するいじめは陰湿です。
優等生として学級を巧みに扇動し、
「私」を集団に同調しない
異端者として扱うのです。
自分は絶対に直接手を出さず、
しかも「私」をかばい立てするような
「配慮」さえ見せます。

囚人・花井の行動と思考は
謎に包まれています。
仮出所が決まった2日後には
わざと暴力騒ぎを起こす。
恩赦による出獄が決まると
「私」を殴り倒して暴れる。
それ以上の説明もなく、理解不能です。

唯一の手がかりは
花井の母親が面会に来たときの
彼の言葉です。
「ねぇ母さん、
 世の中の外側にいられることの
 自由って分かるかい?」

彼は刑務所の中で
「自由」を感じていたのです。

その花井に対して、
力関係の逆転したはずの「私」は
翻弄され続けます。
しかしそれは「私」の内面から
生じている弱さなのです。
「彼らの狂気じみた人生の道程を、
 身分帳や本人の口から聞くたびに、
 常識の中でしか
 世界を把握できないできた自分が、
 彼らの何分の一も
 或いは何十分の一もちっぽけな、
 世界に媚びた存在に思えてしまう」

花井の常軌を逸した行動に
目を奪われがちですが、
本書はあくまでも
「私」を読み込むべき作品だと思います。

一人称で語られる筋書きは
現在と過去を執拗に行き来し、
「私」の心が過去からの一連の流れの中で
「閉ざされている」ことを感じさせます。

ごく僅か書かれている
「私」の現在の家族の描写は、
多くを費やされている
函館少年刑務所および船舶実習船と
ほとんど変わらない
よそよそしさであり、
家庭すらも「私」の心の拠り所には
成り得ていないことをうかがわせます。

読んで明るい気持になど
決してならない小説ですが、
読み味わう部分の多い作品です。
今回2度目の読了ですが、
何年後かにまた再読したいと思います。

(2019.12.23)

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